2016年
奄美黒糖焼酎の日

今年の奄美黒糖焼酎の日に先立つ今月初め、奄美大島・名瀬出身で現在は関東地方に居住されている3名の方々をお招きして、黒糖焼酎を酌み交わしながら黒糖焼酎の話を伺うという趣向の宴を開いた。その時の記録をもとに、本日5月10日の奄美黒糖焼酎の日にこの記事を書いている。

(2014年と2015年の奄美黒糖焼酎の日の記録についてはこちら)
2014年奄美黒糖焼酎の日
2015年奄美黒糖焼酎の日

まず、ご協力くださった3名の紹介。1947(昭和22)年生の同窓生で、名瀬の市街部で高校卒業まで生活されてきた方々である。

今回のゲストの御三方

当日、皆さんの写真を撮り忘れるという失態を犯したため、別の機会に撮影された写真をIさんにお借りした・・・

Iさんは島を出た後、鹿児島や北海道などで仕事に邁進する生活を送られた後、現在も東京でお忙しい生活をされている男性。ご自身のことを「島出身なのに島のことを知らない」と評されるが、実際は奄美に関する書籍などをいろいろとご存じで紹介してくださる、知見の広い素敵な方である。ご両親は徳之島のご出身とのこと。

Oさんは現在埼玉県にお住まいで、古い大島紬をさまざまな小物として蘇らせているパワフル且つキュートでおしゃれな女性。ご兄妹やご親戚も、島の文化を大切に考えて活動したり発信したりしてきた方々だそうで、Oさんのお母様は島料理の本も出しておられる。ご両親とも奄美大島北部の笠利ご出身。

Kさんは進学のために島を出た後、一度島に戻って就職された経験を持つ女性。その後上京されて、現在まで東京にお住まいである。学究肌で物事を分析して理論的にお話されると同時に、みんながお腹を抱えて笑ってしまうようなユニークな話もご披露してくださる、魅力的な方。父方が加計呂麻島で母方が奄美大島南部のご出身と、現在の瀬戸内町にルーツがある。

去年つくって冷凍しておいた「たんかんのスパイス龍宮煮」を1切れ浮かべた龍宮の炭酸割りを皮切りに、いろいろな黒糖焼酎を飲みながら、子ども時代の島での生活とお酒に関する思い出や、現在の黒糖焼酎との関わり方などを伺った。

たんかんのスパイス龍宮煮を浮かべた龍宮の炭酸割り


島の生活とお酒

─── まず、みなさんの子ども時代の生活のなかでのお酒に関するエピソードをお伺いしていきたいのですが、ご家族で賑やかに黒糖焼酎を飲むシーンはどのような時だったのでしょう?

Iさん: 母方のほうはずいぶん酒飲みが多い血統だったんだけど、父方のほうはお酒が飲めない家系でね、親父も飲めなかったの。親父も母親も酒好きが多い徳之島出身だけど、親父の家系は数少ないお酒を飲めない人たちだったんじゃないかと思う。だから、家族の食卓に黒糖焼酎があった記憶はないんだよね。例えば、お正月のお屠蘇はさ、赤玉ポートワイン(笑)。甘くないと親父が飲めないわけよ。で、それ飲んで真っ赤になっちゃう。普通、島の家庭でのお屠蘇はほとんど黒糖焼酎だったんじゃないかな。でも俺たち兄弟はお正月のお屠蘇っていったら、赤玉とか白玉のポートワインっていうイメージなの(笑)。

Kさん: 祖父は、普通の日の晩酌に球磨焼酎なんかも好きで飲んでましたよ。島のことばで”せへっか”なんて呼んでた黒糖焼酎ももちろんよく飲んでましたけど。大島でも北の方の人は酒のことを”せぇ”って呼びますけど、うちは両方の親の家系が南部の出身なので”せへ”とか”せへっか”って言ってました。それから、お正月のお酒については、私の両親たちは長崎に住んでいた経験があるからかと思いますが、普通にお屠蘇を飲んでましたね。

─── おお、バリーエーション豊か!昭和30年代ぐらいの話ですよね。ハレの日は黒糖焼酎一択という感じかと思っていましたが、そういうわけでもなかったんですね。

Oさん: ほんと、家庭によってお屠蘇はそれぞれだったんだね!でも一般的にはお正月なんかも黒糖焼酎を飲む家が多かったと思いますよ。私の父もお酒を飲めなかったけれど、親戚や親の知人が訪ねてくると、黒糖焼酎を買ってきて料理を作って宴会をしていました。そして、私の家のお屠蘇は、子どもの時からすもも酒だったんです。母が奄美のすももで毎年作ってくれて、お正月には黒じょかに入れて飲んでたの。赤くてすごくきれいな色なのよね。でもね、これが何年も経過するとどんどん琥珀色に変わっていくのよ。私も母と同じように、毎年奄美のすももですもも酒を作ってるの。

─── 奄美のすもも!あれは美味しいですよね!!お母さんがつくっておられたすもも酒は黒糖焼酎を使っていたのですか?

Oさん: そうそう、もちろん黒糖焼酎よ。私が毎年つくっているすもも酒も黒糖焼酎。喜界島の「朝日」の30度で作ることが多いかな。結婚してからもうちのお屠蘇はすもも酒にしているから、息子たちもお正月はすもも酒を飲むもんだと思ってるわよ。本当のお屠蘇は1回も飲ませたことないけど、子どもの時から黒糖焼酎のすもも酒はぐいぐい飲んでたの。「もう1回!もう1回!」っておかわりして。年代が違うものを飲み比べたりね。だからうちの子はみんな呑兵衛(笑)。

─── それはぜひぜひ飲んでみたいです。Oさんのご自宅には年代物のすもも酒がいっぱいあるんですね?!

Oさん: そうそう、ありますよ。1年目のすもも酒はきれいな色なんだけど、古いものは本当にすごい色に変わってる。

─── Oさんがすもも酒には「朝日」を使うというのは、お母さんから伝授されたレシピなんでしょうか?

Oさん: いやあ、母はね、多分「弥生」だと思う。さっき話したように父は一滴もお酒を飲まないんだけど、母方はみんな酒好きで、おじいさんとかおじさんとかみんなあの頃は「弥生」を飲んでたの。

Iさん: へぇ。なんでなの?

Kさん: 弥生酒造って創業者は川崎タミさんだっけ?

─── そうですね。弥生焼酎醸造所は大正11年(1922年)創業で、奄美大島で最も古い蔵です。

Iさん: なるほどね。それで定着していたのか。

Oさん: うん、きっとそうね。あと、「八千代」っていうこともあったわね。「弥生」か「八千代」がいつも必ずうちに置いてあった。名瀬のあたりとか笠利のほうなんかは、だいたい「弥生」か「八千代」、あとは、「朝日」を飲むこともあったと思う。その時に訪ねてきてくれるお客さんによって、「弥生」か「八千代」か「朝日」を使い分けてた。

─── もちろん住んでいるところの近くでつくられたお酒を入手することが多かったんだと思いますが、Oさんが記憶している昭和30年代ごろに、喜界島でつくられた「朝日」を奄美大島でも好んで飲む人がいたというのは、興味深い話ですね。

Kさん: Oさんが紹介してくれた『夏の匂ひ』っていう本に、おもしろいお酒のエピソードがあったよね?

Oさん: そうそう!笠利で生まれ育った私のいとこが書いた自伝的小説なんだけど、小学校のころの担任の先生が自分のクラスの子どもに焼酎を飲ませちゃって、その子どもが酔っ払って池に落ちたなんていうエピソードがあった(笑)。

─── ええええっ?!その小説、すごく読んでみたいです。そういうのは非常に特別なケースだと思いますが、おおらかというかなんというか、おおらかで済ませてはいけない気もしますが(笑)。

Kさん: 私は大学を卒業してから島に帰って数年島で働いていたんだけど、仕事が終わると誰かがお豆腐買いに行って、それをつまみながらお酒飲んで話したりしてましたよ。

─── 昭和40年代後半ぐらいの話ですよね。お酒というのはもちろん黒糖焼酎?

Kさん: そうそう、もちろんそうです。古き良き時代っていうことですよね。昭和が終わるころまでは、そういう光景は結構あったと思いますよ。

─── いいですねぇ。居酒屋に行くわけじゃなく、職場で、みんなで囲むっていうのがいいですよね。そのときは水割りで飲んでたんですか?

Kさん: うーん、確かそうだったと思いますよ。

─── 当時は水割りが基本的な飲み方だったんですか?

Kさん: そうですね。私はお湯割りをするようになったのは最近。

Iさん: え、島では普通お湯割りだったろ?

Oさん: そうそう。うちに来ていた呑兵衛たちは、みーんなお湯割りだったよ。ポット用意して。

Kさん: ああ、私、知らなかったんですね。水で割ってたもん。確かに考えてみると、おじいさんとか晩酌している人はお湯割りだった。それから、つい最近、同級生のお父さんが100歳を迎えてなお非常にお元気だということで、どんな生活をされているのか尋ねたんですね。そうしたら、毎日黒糖焼酎で晩酌するんですって。お酒とお湯を1: 1で、コップになみなみと7分の6ぐらい作って。それが毎日の楽しみだっていうんで、私も同じように作って飲んでみたんですけど、結構強い。これを100歳の方が毎日飲むなんてすごいなと思って。

Oさん: 1杯だけ?

Kさん: 1杯・・・か2杯なんですって(笑)。肌もつやつやしてるし恰幅もいいし、本当にお元気なんですよ。食べるものにも気を使っているそうで、2年ぐらい前までは自分で料理もされていたそうです。そういえばね、私の祖父も私が25,6歳のころに92歳で亡くなったけど、毎日飲んでました。島では晩酌をする人、多かったですよね。私たちは、晩酌すると長生きするって聞いてた。

─── 100歳になっても節制しながら、毎日の黒糖焼酎を楽しむっていうのは素敵ですね。晩酌すると長生きするっていうのは、黒糖焼酎に血栓融解酵素が含まれるというような科学的なことだけでなく、歳をとっても毎日晩酌できるぐらい健康に気を使いながら楽しく生きられる幸せを指しているような気もしますね。

この日の料理

この日の料理は野菜の前菜4種(トマトの塩昆布和え・ピーマンの真砂和え・きのこのマリネ・カルダモンを効かせたラペ)、自家製スモークチキン、スパニッシュオムレツ、ホタルイカのクミン炒め、イトヨリのアクアパッツァなど。今回はハーブとスパイスを効かせることを意識した献立。黒糖焼酎との香りの相乗効果を楽しんでいただいた。写真はKさん提供。

昔の肴

─── 3人とも奄美大島でも都会である名瀬の中心地のご出身ですが、ご両親の実家に遊びに行ったり、ご親戚で集まって宴会をしたりということは多かったのですか?

Iさん: 夏休みになると徳之島のじいちゃん・ばあちゃんの家に行って過ごしてた。亀津からちょっと行った山のほうなんだけど。夕方になるとじいちゃんとばあちゃんは2人でだれやみしてたね。必ず。

Kさん: 私も小学5年から高校2年まで夏休みになると母の実家に行って過ごしてたんだけど、夕方になるとうちのおじいさんのところに集落の人が持ち歩き用のランプを持って畦道を通って遊びに来るんですよ。でね、私はランプ係だったの。夏休みの私の仕事。来た人からランプを預かって、並べてホヤを磨いてね。来た人たちは黒糖焼酎で宴会するんですよね。夏休みで滞在している間に、そういう宴会が何回かありましたね。

─── ランプ係は大変そうですけど、その宴会は魅力的ですね。どういう料理が出てたか覚えてますか?

Kさん: 油そうめんはね、クジラが入ってた。当時の油そうめんってクジラのおば(おばいけ)とか、入ってなかった?あと豚の三枚肉。

Oさん: いや、おばはなかったね。三枚肉はもちろんあったよ。

Kさん: え、おばって入ってなかった?あのころはクジラばっかりだった覚えがある。

Iさん: 田舎ではくじらのこと、ぐんじゃって呼んでたな。

─── 油そうめんはご家庭によって入っているものがそれぞれだと聞きますが、くじら入りというのは初めて伺いました。食べてみたいなぁ。Iさんのおじいさんとおばあさんは、どんな肴でだれやみされてたか覚えてます?

Iさん: えーっとね、まず、味噌。それと地豆。茹でたピーナッツね。味噌は塩っ辛いのでさ、豚の皮が付いた三枚肉を漬けていて。脂の部分がうまいよね。

Kさん: そう、三枚肉が最高。

Oさん: さくっとした脂のところが美味しいのよねぇ。

─── 黒左党も、島の豚の脂身の魅力にどっぷりはまってます。美味しいですよねぇ・・・。Oさんの覚えている焼酎の肴はどんなものがありました?

Oさん: うちはさっき話したように親戚とか懇意にしている知人なんかがうちに遊びに来て飲むときには、母がいつも作り置きしていた豚のレバーと三枚肉の味噌漬けは必ず出してたわね。

Kさん: ああ、レバーの味噌漬け!うちの母もよく作ってました。今でも食べてますよ。

Iさん:うん、レバーの味噌漬けはあったよな。

Oさん: 笠利の打田原のおばあちゃんは、いつもトゥビンニャ(マガキガイ)をひとつひとつ丁寧に殻から外して糸で結わえて、味噌に入れて漬け込んでおくのね。それで、孫のわたしたちが訪ねて行くとそれを出しで首飾りみたいにしてくれたの。あと、えーっと、グズマ(ヒザラガイ)も味噌に漬けてた。美味しかったのよね。焼酎を飲む人はそういう貝とか豚の味噌漬けをおつまみにしてましたよ。

─── うわぁ、トゥビンニャの首飾りなんてもらってみたいですねぇ。グズマって初めて聞きました!食べてみたい!!

Oさん: あとね、高菜も味噌漬けにしてた。

─── へぇ、高菜も!どの肴も魅力的ですね。可能ならぜひ再現して食べてみたいですけど、今は当時とは味噌も違うし、くじらも手に入りにくいし、なかなか再現できそうにないですね。そもそも黒糖焼酎の味も違うでしょうしね。

Oさん: そういえば、10年ぐらい前、夫と息子たちを連れて島に帰った時、知り合いが「八千代」の20年ものというのを持ってきてくれたの。その知り合いが新築祝いにもらったものなんだけど、全然お酒が飲めないからずっと置いてあったんですって。それをみんなで公民館で集まって飲んだんだけど、ラベルもぼろぼろで、なんて書いてあるのか一生懸命読まないとわからないぐらい。そして中身はまるっきり琥珀色!これがね、美味しいなんてもんじゃないの!!

─── うわー、お宝ですよね。想像したらよだれが出そうです・・・。もしかして、島のご家庭には、そんなふうにひっそりずっと置きっぱなしになっている年代物の黒糖焼酎が結構あったりするのでしょうか。

Oさん: きっとあると思うわよ。

この日飲んだ美味しい黒糖焼酎たち

この日飲んだ美味しい黒糖焼酎たち。全蔵とはいかなかったけど、全島からいくつかピックアップ。PDFはこちら

今、黒糖焼酎はいつ飲んでる?

Iさん: しかし、こうやっていろんな銘柄を並べて飲むと、それぞれ本当に味が違うもんだな。こんなに違うと思わなかった。

Kさん: ほんとに、香りとか甘みの濃さとか全然ちがいますね。

─── 黒左党としては、黒糖焼酎の味わいのバリエーションの豊かさは、おおげさじゃなく焼酎界随一だと思っています。今日はいろいろな黒糖焼酎を楽しんでいただいていますが、日頃は、黒糖焼酎を飲まれますか?

Iさん: 飲まない。今は家でビールも飲まないよ。

Kさん: 私は家に「龍宮」と「一番橋」は置いてあるんで、たまに。今日は飲もうかなって思ってたら、Oさんから「今日は私、長雲飲んでるのよ」なんてLINEが来たりして。

Oさん: ああ、そうそう(笑)。仕事が一段落ついてばんざーいっていう日に家で飲んでて、LINE送ったのよね。

Kさん: そうだったね。たまに飲もうかなってことがあるけど、そんなには飲まないですね。うちは旦那が飲まないので、もし彼が飲む人だったら今頃私も底なしに飲んでいたかもしれないけど(笑)。

Oさん: 私もひとりじゃ飲まないから、家ではそんなに飲まないわね。お湯割り2杯程度とかね。

─── 意外なんですけど、Iさんはご自宅に黒糖焼酎は置いてないんですか?

Iさん: うん、置いてない。酒自体を置いてないから。

─── そうなんですか。でもみなさん結構お強いですよね。飲まれるときはしっかり飲む?

Oさん:居酒屋なんかに集まるとみんなよく飲むんだけど、3次会なんてところにまでなると、もうみんなお湯割りよね。年齢的にもお湯がいいのよ、身体に負担がかかりにくくて。

Iさん: Kさん、結構お酒強いよね?

Kさん: え、そうですか?昔はもっと強かったんだけど。最近ね、そのお湯割りを飲むようになって、黒糖焼酎ってこんなに美味しいんだってびっくりしてるんですよ。

─── お湯割りだと香りがいいですものね。

Iさん: やっぱりロックだストレートだっていうのは強すぎるもんね。

Oさん: そうそう。同窓生で集まったらやっぱり必ず島の黒糖焼酎をお湯で割って飲むわよね。ボトルとポットを頼んで。私はお酒を飲むようになってから10年ぐらいしか経ってないの。

─── えええ!そうなんですか?お屠蘇がわりのすもも酒以外は飲んでなかったってことなんですね!子どもの頃、ご親戚の呑兵衛たちが実家に遊びに来られた時に、お前も飲んでみろ、みたいなことはなかったんですか?

Oさん: ないないない!だって奄美では女の子には飲ませないもの。

Kさん: 飲んじゃいけないのよ。うちは隠れて飲んでたりした。

─── Kさんは飲んでたんだ!(笑) 同窓生での飲み会の時には、やっぱり、わざわざ黒糖焼酎を飲めるお店を探して使ったりするんですか?

Oさん: するする。集まって2次会になったら必ず黒糖焼酎よ。

─── 島で暮らしていたころは、もちろん飲んでなかったということですよね。

Iさん: もちろんだよ。子どもだったもん。

Kさん: 飲んでも飲んでないふりしてた(笑)。

─── なるほど(笑)。やっぱり島を離れて何十年か生活されてきて、いろんなもので故郷を感じることってあると思うんですが、黒糖焼酎も今、そういう故郷を感じるものになっていますか?それほどでもないですか?

Oさん: やっぱり、故郷とつながるものだよね。

Iさん: うん、さっき言ったように家では飲まないんだよね。でも島の出身者と集まると、必ず飲むよね。

Oさん: 美味しさという部分だけではなく、少しでも島に還元できるんじゃないかっていう気持ちがあるの。

Kさん: Oさんは特にそういう意識を強くもってるよね。

Oさん: うん、私は古い大島紬を集めて服とかバッグとか小物なんかを作るということを長年やってきて、紬に触れることですごく幸せな経験をさせてもらってるんですよね。いろんなものを作れて、いろんな人と知りあえて。そういう体験をさせてくれた島へ少しでもなにか還元できるものがあれば、積極的にしたいって考えてる。知ってる飲食店なんかにも、黒糖焼酎美味しいからぜひ置いてちょうだいって必ず言ってる。

─── なるほど。黒糖焼酎は消費が減ってしまえば、蔵が減っていくことにつながりますよね。今みなさんがおっしゃったように、これだけ味の幅がある黒糖焼酎でも、蔵が減っていくと味の幅も狭くなっていく可能性が高いということになるのではないかなと思います。黒左党としては、少しずつでも黒糖焼酎を紹介して広まっていくように細々と活動していきたいと思っているので、またいろいろ昔の話を聞かせていただきたいなと思っています。


気が付けばもう8時間、ゆっくりと黒糖焼酎を傾けながら、興味深い話をたくさん聞かせていただいた。黒糖焼酎の話以外も様々な話題が出たが、今回はその中から黒糖焼酎や酒の肴にまつわる部分をピックアップして編集させていただいた。

当初、今回の3名にお話を伺いたい旨を打診した際、快諾はしてくださったのだが、自分たちが知っている話はそんなにないとそれぞれの方がおっしゃっていた。しかし、フタをあけたら驚くほど細かいことを覚えておられたり、多彩なエピソードがあったりと、こちらの想像を上回る興味深い話を披露してくださった。

黒左党には奄美群島出身のメンバーがいないが、今回お話を聞かせてくれた島出身の方々を通して、昔の記憶に残っている黒糖焼酎と、それを楽しんでいた人々の姿を少しだけ垣間見ることができた気がする。この記事を読んでくださっている奄美群島を知らない方にも、この島々の豊かな文化と生き生きとした人々の営みの一部をお伝えできていればうれしい。

ちなみに、お3方は我々と話す際は「黒糖焼酎」とおっしゃっていたが、ときどき「黒糖酒」ということばを使っておられた。それについてお尋ねしたところ、「当時は黒糖酒って呼んでましたね」というお答えをいただいた。確かに、黒糖焼酎は黒糖酒、黒砂糖焼酎など呼び名に変遷があったことは、いろいろな銘柄のラベルから確認できるし、黒糖焼酎好きのなかでは話題にあがることもある。味わいだけでなく、こうした呼び名の変遷も興味深いものだと改めて感じた。

今後も、年代や出身島の異なる方々からお話を伺う機会を得られればと考えている。

今年も充実した奄美黒糖焼酎の日であった。

2016/05/10

書いた人

peng

奄美黒糖焼酎語り部。
黒糖焼酎に合う料理や黒糖焼酎を使った料理を考える時間が至福。
毎年2月にたんかん・とびんにゃ商人と化す。